プレゼンテーションの訓練のむずかしさは、スポーツのようなものとは違って、 客観的な評価ができないし、自分のどこが悪いのか、自分ではわかりにくいところにある (逆にいえば「自分の悪いところ」がはっきりわかっていれば、 それだけで問題の 90% はすでに解決したといえる)。いっぽうで、 世の中にはこんな規則をまったく教えなくても、ほぼ“天然で”いい発表ができる人がいる。 そしてそれは「言葉の流暢さ」とはとくに関連がないようだ。 実際、新山は「英語がカタコトだが、すばらしくいい説明をする」学生を見たことがある (ブルガリア出身の Roumen、彼はいまどうしているだろうか…)。
どうしてそういう違いが生まれるのだろう? 結局、プレゼンテーションというのは 究極的には「通じりゃなにをやってもいい」わけだ。これは商売というものが 究極的には「儲かりゃなにをやってもいい」のと似ている (もちろん、本当に なんでもいいわけじゃないが、少なくとも世の中のいろんな商売をみると、すごい自由度があるだろう)。 逆にいえば、つねに決まりきった方法に頼っていては、ろくな成果は望めない。 臨機応変に、その時々に応じた創意工夫が必要となる。 結局、プレゼンテーションの極意を一言で表現すれば
Be creative. (創造的であれ)
ってことにつきるのだ、と思う。
2009/10 (b) (via cokeraita) (via otsune) (via jinon) (via ginzuna) (via sytoh)